2009/07/02

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また村上春樹の話。1Q84の中に「さきがけ」という宗教団体が出てくる。著者は「アンダーグラウンド」などでオウム真理教、地下鉄サリン事件について多く取材をして発表してきた。その集大成というか物語りに作り上げたものが「さきがけ」だとインタヴューで答えていた。僕は前回の2QQ9でも書いたがいちいち村上春樹の文章にリンクしたがる性格で、それに快感を求めている気があるが、それはファンゆえにそうしたいというよりも誰にでも少なからず当てはまる項目を著者が物語の中に埋め込んでいるからだろう。しかし今回の「さきがけ」についていえばオウムだけではないなにか別の資料が存在するように思う。「さきがけ」は簡単に説明すると自給自足(農作業など)をしながら、裏でなにかが進行している団体だ。表向きは純粋な「生きる」ことへの探求のみを謳っている。僕は幼いころ「楽園村」といういわば合宿所のようなところに1,2週間ほど何度か預けられていたことがある。そこは「ヤマギシズム」が運営し、過去に何度か問題を起こしてニュースで見たことがある人もいるかもしれないが、そこはある種「さきがけ」がオウムよりも「楽園村」をモデルにしているのでは?と思わせる点が数多く存在する。「楽園村」に完全に移り住むには「さきがけ」同様、財産というものを持つことは許されない。つまり団体に寄付しなければならないのだ。そのことで当事者の親などと「ヤマギシズム」は裁判沙汰の問題を起こしたりしている。それが明るみに出たころには僕はもう高校生だったし、そういえば昔そんなことがあったなぐらいにしか思っていなかったが、当時からおかしな点は子供ながらに感じていた。例えば、楽園村では面倒を見てくれるスタッフのことを「お父さん」、「お母さん」と呼ばなければならない。初めのうちは抵抗があるし、実際の父親でもないのになんで「お父さん」だなんて呼びたくなかった。しかし、何度も預けられるうちにそういうことは麻痺してくる、それ以上に子供というのは往々にして自分を偉く見せたがるものだから、新しく入ってオドオドしている子が「お父さん」と呼ぶことに戸惑いを感じていることを侮辱するかのように元気よく「お父さん!!」と呼んでみせ、「お父さん」に可愛がられ背徳感に浸るようになる。そうして「楽園村」は完成してゆくのだ。そして一番怖いのはそれが「正しい」ということだ。なにも「間違った」ことはしていない。子供たちを預かり、普段触れることの出来ない自然に触れさせて、有機栽培で作られた健康的な野菜を与える。子供たちは純粋に楽しみ、また来たいと思う。なにも間違っていない。僕は今でも「楽園村」の光景をありありと思い出すことが出来る。人間は消耗しなければ成長しない。そういった体験が自分を形成してゆくのだ。なにが正しいかなんて誰が判断できる?リンクではなく実際に。「さきがけ」に僕は存在する。それは今でも。